2017-04-06 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号
○アントニオ猪木君 これはいつの新聞でしたかね、韓国軍合同参謀本部が、北朝鮮が五日午前六時四十二分に、東部の咸鏡南道、新浦付近から日本海に向けて弾道ミサイルを一発発射したと記事が出ていますが、ちょうどこの新浦というところが、私が先ほども申し上げた、力道山もその近くで生まれまして、そこをずっと訪問したことがあります。
○アントニオ猪木君 これはいつの新聞でしたかね、韓国軍合同参謀本部が、北朝鮮が五日午前六時四十二分に、東部の咸鏡南道、新浦付近から日本海に向けて弾道ミサイルを一発発射したと記事が出ていますが、ちょうどこの新浦というところが、私が先ほども申し上げた、力道山もその近くで生まれまして、そこをずっと訪問したことがあります。
よく、私がどうして北朝鮮にそんなに一生懸命なのか、あるいは北朝鮮に足を運ぶのかと聞かれることがありますが、私の師匠力道山は、出身地は朝鮮半島の咸鏡南道というところです。戦後、御存じのとおり、テレビに登場して、本当に敗戦の中で夢をなくした国民が力道山の勇壮を見て、そして元気と勇気、あしたの生きる力を与えてくれました。私もその中の一人です。
私自身のことをお尋ねでありますが、手短に申しますと、私は当時、昭和二十年の八月、北鮮の咸鏡南道の県都といいますか、咸興に駐屯していました第三十四軍軍司令部の経理部の将校をしていました。
そして、北朝鮮の、北の社会に配置されたわけですけれども、私は、咸鏡南道に咸興市というのがありますが、そこの工場に配置されました。 私は、工場で仕事をしながら、とにかく生き長らえよう、生命の維持をしようということで、仕事を一生懸命いたしました。そして、その結果、勲章もたくさんもらいました。そして、北朝鮮の労働党の信任というものも厚くなりました。
時間がございませんで整理もしておりませんが、ずばりひとつ聞かしていただいて、的確な御答弁をと思っているわけでございますが、五月の二十九日に、もう皆さんがよく御存じのように、北朝鮮の咸鏡南道にございます盧洞里、これノドンというのだそうですが、このミサイル基地から東南の方向にミサイルが発射をされた。新潟沖に着弾をするというようなことになるんですけれども。
具体的な事例は、この人は現在宮崎県の日南市に住んでいる三上たつさんという方でございますが、御主人は昭和十五年一月まで朝鮮総督府咸鏡南道の役所に勤めておられたわけでございますが、公務で御主人は死亡したので、「吏員退隠料退職給與金死亡給與金遺族扶助料規則」、非常に長い題名でございますが、これによって終戦近くまで、昭和十九年の十二月まで扶助料年額百七十六円を受給をされておったわけです。